キッチンに立つのが怖かったから、デリバリー
愛犬を介護した経験も、愛犬が旅立つという経験も、ペットロスなんて言葉ではとうてい足りないほど喪失感があまりに深いことも、“間違いなく家族だった”ということも、あのコが身を以て教えてくれた。
トトに会いたい――。
当たり前にトトちゃんが見えていたキッチンに立てなくなった。
食事は喉を通らなかったけれど、トトちゃんを喪失して“うつ状態”になっていると診断された父犬ハム君と、右前足に関節痛が出た娘犬ブルーのケアをする新しい任務をこなすには体力も栄養も睡眠も必要だった。
味はいまいち感じなかったけれど、泣きながらだったけれど、キッチンに立つ回数も時間もできるだけ減らせられるように「出前館」や「Uber Eats」を何度も利用した。
【実録】24倍以上になった食費
こちらはトトちゃんが旅立つ前の約2カ月と、ペットロスに苦しんだ約2か月の出前館に支払った金額の比較になる。
24倍以上の金額を食費のデリバリーに充てなければならないほど、わたしはキッチンに立てなかった。
傷ませるわけにはいかないと食べきれなかった大半を冷凍室に突っ込んだため、引き出しが開閉できなくなった。一時期は冷蔵庫そのものの買い替えを真剣に迷ったほど、頼んでは残し、頼んでは残した。
そしてそのたびに泣き崩れた。ハム君やブルーやぴーちゃんに見えないよう、聞こえないように声を殺して泣いた。
老犬との日常は意味のある特別な日に
トトちゃんを失ってから、無意識にかわったことや意識してかえたことがいくつかある。ツイッターをはじめた。インスタグラムもはじめた。こちらのブログを開設した。ハム君たちの毎日をできるだけ、撮ることにした。
四本足で立ってエサを食べる。
元気に散歩に行く。眠くなったら寝る。
遊び疲れたら「アジの開き」みたいになって寝る。
撫でろ、撫でてと前足で催促する。
喉がかわいたら、思う存分に水を飲む。
10年以上、当たり前だと信じていたことのすべてが特別なことになった。
老犬と生きるというのは、特別な日が増えるってことなんだと知った。
なんでもない特別な瞬間をできるだけ写真にのこさなきゃいけないと思った。少なくともわたしは、写真の中で笑うトトの姿に救われたから。
トトちゃんが生きていた頃なら、気にも留めなかった「ハム君のただの熟睡」は何度も何度も鼻先に手の甲を向けて呼吸の有無を確かめた。
人間の寝室のダブルベッドの左角の枕の上が定位置のぴーちゃんを、1日に何度もリビングから2部屋越えて見に行った。そのたびに頭を撫でて「いいコだね、長生きしてね」と話しかけた。
息をしてるか、生きているか。
手を伸ばして確かめようとするたびに、肩に力が入った。心臓が飛び上がる覚悟をした。家の中にいるのに緊張がとけることがなかった。
ペットロス・喪失感を封じて祝った14歳の誕生日
7月末、ハム君の14歳の誕生日がやってきた。
この日ばかりは泣かないように、笑えなくてもいいから泣きはしないように頑張った。そう、頑張った。頑張らなければ“去年と違う誕生会”が悲しいものになってしまうから。
生きていてほしい。来年も祝わせてほしい。
できれば明日も明後日も半年後も、健康でいてほしい。
1年後も“おめでとう”と撫でさせて、写真を撮らせてほしい。
願うよりも、祈った。
そうしてお盆が明けて、8月17日の朝がやってきた――。