candlelight-1433175_1280
StudiolarsenによるPixabayからの画像


ペットロスで生じた感情の第一弾は「詫び」と「後悔」



愛犬のトトちゃんが旅立ち、すぐさまに襲ってきた感情は強い詫びと後悔でした。

13年以上ともに過ごしたなかですっかり忘れていた些細な出来事が波のように寄せてきて、その大半は「あの時叱ってごめんね」「今思えばあんなに小さなことで怒ってごめんね」

「雨の日だからって散歩いかなくてごめんね」「あなたからパパ(元夫)を奪ってごめんね」といった、詫びと後悔の気持ちでした。



会えなくなる日がくるなら叱らなかった

ペットロス 後悔と詫び (2)


どうしてあのくらいのことで叱ったんだろう。
いつかこんな風に逢えない日がくるなら、叱らなければよかった。

人間社会で暮らす犬を躾けるのは飼い主として当たり前のことなのに、それすらも「あの日の躾は厳しかったかな…ごめんね」「ぶさいくに撮れた写真がおもしろくて、みんなで笑ってごめんね…」

「ハムと2匹で壁紙をびりびりに破いて遊んでいたくらいで怒ってごめんね…」「壁紙の補修に数万円かかったくらいで、大きなため息を嫌味たっぷりに吐いてごめんね…」

――今思うとそこまで詫びなくてもと自分の背中をとんとんと慰めたくなるほど、トトが生きた13年7ヶ月23日を思い出しては悔い、涙がとめどなく溢れました。



優しい「いい飼い主」ではなかったかもしれない



トトちゃんがいなくなって今日、11月14日で丸4か月。
過去を振り返ると決して、ただの一度も理不尽に、執拗に叱ったことも怒ったこともありませんでした。



トトを含む4匹の愛犬から“パパ”を奪った――離婚した――ことはたしかに申し訳なく思っているけれど、それ以降、「代替パパ」を作ってストレスを与えたこともなければ、デートで長時間家を留守にするなんてこともしていない。

むしろフリーランスに鞍替えして、仕事の単価を上げるかわりに本数を減らし一緒にいられる時間を増やし、パパの分までそばにいるようにしたくらいわたしにできうる限り愛し尽くしたと胸を張って言えます。

けれどトトが旅立ったばかりの4か月前は、ぴーちゃんばかりを可愛がっていたかもしれない。ハムの写真ばかり多く撮っていた気がする。触られたがりのブルーを抱っこしている時間が多かったように思う――。

などと、トトへの愛情不足を嘆いては詫び振り返っては詫び、自分がいかに足らぬ飼い主であったかを悔やみに悔やみました。



「いいおかあさん」の言葉に救われた日

ペットロス 後悔と詫び (3)


愛情不足なんかじゃなかった、足らぬ飼い主なんかじゃなかった、むしろ愛情過多なくらいだったと自信を取り戻せたのは、我が家に頻繁に遊びに来てくれていた犬好きの友人たちからかけられた優しい言葉や、いつの間に撮られていたトトとわたしが寄り添って眠っている写真。

「犬ってこんなにも笑った顔をするんだと知ったのは、ことぶきの飼ってるワンコたちに出会ってから。トトちゃんもいつも笑ってたよ」と泣いてくれた親友。

とりわけ、獣医さんや看護師さんたちからの「いい飼い主のお手本のような愛に溢れるいいおかあさんですよ」のお褒めの言葉はなによりの支えとなりました。

わたしの飼い方に至らぬ点があるから、良い飼い主ではないから、15年、16年と長生きさせられなかったのではないかと何度も自分を責めていましたから。


――次回に詳しく書きますが、自分がどれだけトトちゃんを愛していたか、愛情過多だったかと知られたのはSNSにアップするでもなくブログにアップするでもないのに、平凡な日々を切り取っただけの、選びきれないほどの「トト写真の数々」でした。


このエントリーをはてなブックマークに追加