ペットロス――という言葉はもちろん見聞きしたことはあったし、それがどれほどつらく苦しいものであるかは軽く読んだことがあった。
軽くしか読まなかったのは、読めなかっただけだ。自分がどれほどの喪失感を味わってしまうのか、その頃は考えるのも怖くて仕方なかったからただただ目を背けていた。
愛犬のトトちゃんの生が幕を閉じてからのわたしは、何度も時間を振り返った。1時間前のトトはしずかにしずかに、消え入りそうな息をしていた。6時間前は経口補水液OS-1をシリンジで5本も飲んだ。24時間前は…1日前は…。
確かに生きていたトトちゃんを思い出しては狂ったように泣いた。本当につらい時、わたしはこんな風に泣くのかと時折、冷静な自分も顔をのぞかせた。
トトちゃんが旅立った翌朝、ヘルニアからの麻痺で後ろ足が立たなくなったトトが万が一にも転倒したり危ない目に遭えばすぐに気が付くようにと、首輪につけていた鈴の音が2度聞こえた。
人は信じたいものを信じ、見たいものを見て、聞きたい音を聞くものだ――。
ずっとそう思ってきたから1度目の鈴の音は、聞きたくて聞いた幻聴だと思った。けれど2度目は、わたしのすぐそばで目を閉じていた父犬ハムの耳がぴくりと起きあがり、彼がトトが寝起きしていたチビ部屋まで走っていった様子を見るに…どうやら幻聴ではなさそうだった。
ご先祖様供養をお願いしているお寺で買った“お守り鈴”はその後も1度鳴った。合計3度ちりりと可愛い音色を聞かせてくれたあとは息をひそめている。
あまりにも泣けて泣けて仕方なく、息を吸うのも吐くのも苦しかったのでペットロスときちんと向き合おうと思った。この哀しみに真正面から向き合わないと長引いてしまう気がした。
…ん、ペットロスって言葉はあれだけの大きな喪失感を思うと、ちょっぴり軽い気もしてしまうけど、この際これでいいか。
インターネット上には多くの人たちのペットロス経験があった。それらを読むとトトちゃんに会いたくて触れたくて、声を上げて泣いた。明けても暮れても泣いた。
引き裂かれそうなこんな思いをあと3回も経験しなければならないなんて…多頭飼いなんてしなければよかった…と泣き崩れました。とても耐えられそうにないと怖くなりました。
正直に言うと、ほんの数分、たった1回ではありますがトトちゃんを追いかけたいという思いさえ過りました。
昨日まで居たあのコがいない。
13年以上いっしょに暮らしたあのコがいない。
もう2度とトトの丸くて可愛い頭をなでることもできない。
それなのに泣かずに我慢するだなんて、そんなウソ、自分につきたくなかった。ちゃんと泣いて「さみしい」「会いたい」と声を上げ続けた。少なくとも四十九日まではそれが許されると思ったし、四十九日のあいだはわめくように泣き続けてしまうだろうと思っていた。
けれど、実際にはそうはいかなかった――。
愛犬トトちゃんが旅立った翌々日の早朝散歩、トトの娘犬のうちの1匹ブルーの右前足に違和感が見られた。10メートルに1度のペースで、ずりっずりっと右前足が斜め前に滑る、おかしな歩き方。少なからず3日前の散歩時には見られなかった症状だった。
そしてもう1匹、トトのことが大好きだった父犬ハムの様子が明らかにおかしかった。
エサを食べず、水も飲まず、家の中をずっとうろうろしていたかと思うと、ソファの上に力なく横たわっている。もともと食の細いコなら別だけどハムはあまりにも食いしん坊だった。
トトが亡くなって2日後に動物病院へ行くのはなんだか少し気恥ずかしかった。というのもトトが旅立った報告をした際に、(いつもはわりと仏頂面の)院長の優しい言葉におもわず泣いてしまったからだ。
けれど、この時は「トトに続いてハムまで…」「ブルーの足も、トトみたいにに歩けなくなってしまうの…?」と不安に押しつぶされそうだったし、なによりハムがエサを食べない・水も飲まないだなんて…。
不吉な予感が頭の中を支配しようとする。「いやだ!!!」と叫びたくなる胸を押さえて朝一番に動物病院へ向かった。
レントゲンを撮っても念入りな触診をうけても、ブルーの足に異常は見られなかった。年齢的にも(当時12歳後半)関節炎がみられる頃だからと念のためにアンチノールを2週間分処方していただいた。※今も服用をつづけています
問題はハムだった。診断名はとくにつかないけれど「うつ状態」がひどいとのことだった。とても仲の良かったトトちゃんが突然いなくなった。いつ帰ってくるの? どこに行ったの? まだ帰ってこないの? どうしていないの…? と今の状況が理解できず苦しんでいるとのことだった。
「私たち人間のように、死とはどういうものかを、死んだらどうなってしまうのかを犬は理解しづらいですから、ハム君は“トトちゃんがいないことがただただすごく寂しくてつらい”状態です。
ハム君がいわゆるペットロスの酷い状態になっていると考えてください。
治す薬は2つしかありません。1つは時間薬、もう1つは飼い主さんの一時的な過保護な愛情です。一時的でいいです、ハム君に元気が戻るまでものすごく過保護にしてあげてください。大丈夫です、それで必ず治ります」
上記でも書きましたが、ハム君とトトちゃんは不思議な縁でひき合い、わたしという飼い主のもとそれはそれは仲良く暮らしていました。トトちゃんのリハビリに同伴・先導するほどハムはトトのことが大好きでした。
悲しいのはわたしだけではないんだ、という事実がわたしをさらに悲しませ、同時に立ち上がる勇気を与えてくれました。ブルーの関節炎とハムの“トトロス”。
さんざん泣いた2日間があってよかった。我慢せずに、トトの供養のためにも泣いてはいけないだなんて自分に無理を強いなくてよかった――心からそう思いました。
ハムとブルーの心とからだに寄り添いながら(もう1匹の娘犬ぴーちゃんは超マイペースで何事もなく)、わたしはわたしらしくペットロス、トトちゃんを喪失した現実に向き合うことにしました。