
長く犬を飼っていると、彼らの些細な変化を「いつものクセ」と片づけてしまうことがある。
でもそれが非常に危ないことだと知ったのは、犬は飼い主さんのために「痛みを我慢するクセがある」と教わったから。
だからわたしたち飼い主が「これはクセなんかじゃない、明らかに異変だ。おかしい」と気づいた頃には病状が進行していることが多いのだそう。
気管虚脱のグレードⅡと診断されたぴーちゃんの、些細な変化をなにがなんでも見逃すまいと休業することに決めた。
長引くコロナ禍の影響もうけて、わたしのようなフリーランスのヘアメイクには厳しい状況が続いていた。休業を決意するのは怖かった。
「いつまで休業?」
「それはえっと……」
ぴーちゃんには19歳まで『元気で』生きてほしいと願っていたわたしにとって、治ることのない気管虚脱を患った彼女とそばで彼女を見守る暮らしは「うまくいけばあと5年」。
5年も休業していられるわけがない。
そんなことは自分がいちばんよく分かっていた。
貯金だけで暮らしていけるような裕福さは持ち合わせていない。
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犬を飼うということ。
ペットを飼うということ。
最期まで面倒をみるということ。
口で言うのは簡単だ。実行に移すのは決して容易いことじゃない。
どんな選択をしても後悔は必ずするんだろう。
多頭飼いのわが家にはあと2匹の老犬と、1匹の爆弾みたいな元気なオス犬がいる。ぴーちゃんばかりを看ていてはいけない。このコたちだって「いつ、なにが起きるかわからない」のだ。
視野を広く持ち、そのつど正しい選択をとっていかなければ。
(つづく)