犬は本当に人を見る目があるか? (3)


ファンヒーターから焦げたにおいがしている、ような気がする。いや、待て。ガスのにおいかもしれないぞ? ひょんなことから化学物質過敏症になってしまったわたしの鼻は、いまいち信用ならなくて――。






鳴かない唸らない老犬のちいさな唸り声

犬は本当に人を見る目があるか? (1)


飼い主のわたしがいうものおかしいけれど、14歳のちわわのブルー(老女犬)は結構なオトコ好きだ。

元夫から超・溺・愛されて育ったこともあり、世の男性はみな自分に優しくしてくれると疑わず、またその通りになってきたこともあり、ダスキンさんにもわが家のあちこちを直しにきてくれる内装屋さんにも宅配のおにいさんたちにもとにかく愛想がよく愛嬌をふりまくふりまく。

そんなブルーが、ガス点検の訪問にきた男性から見えないように、ケージの奥に身を潜めて小さくずっと唸り声をあげている。玄関先でわたしが感じた“違和感”をブルーも感じているのだろうか?



ガス サービスショップの男に違和感をおぼえる犬と飼い主


ガスの点検が終わり、普通の掃除ではとりきれないヒーターの風向口内部の埃が着火とともに焦げてにおいを発していると思うという説明とクリーニングの必要性を説いたあと、ガス点検に来たその男は立ち上がるではなくヒーターの前にどっしりと腰を下ろした。

「かわいいなぁ、かわいいですねぇ」

わが家の愛犬4匹を褒める。何度もそう言って愛犬を褒めた。けれど男の手はただの一度も犬に触れようとしない。

それ自体は有難かった。気やすく触ってほしい気分ではないし、作業が終わったならすぐに引き上げてほしかった。年末だし忙しいし、コロナ禍だし、空気読まないなコイツと思った。

口では何度も「かわいい」と言うわりに、犬に近づくことも手を伸ばすこともしない男はようやくかわいい以外の別の言葉を口にした。

ガス サービスショップの男、顎マスクで喋りはじめる


「子どもの頃に中型犬に噛まれたことがあるので犬は好きじゃないんですよ。でもかわいいなぁ」

そうして男はあろうことかマスクを顎までずらした。

それまでにも鼻先が見えるほどマスクがずれているのに(ずらしていた?)何ら気にする様子の見えない男に、わたしは何度も自身のマスクに大袈裟に触れて『気づけよ』とサインを送っていたけれど、どうやらそういうことに気づくアンテナは、やっぱり持ち合わせていないようだった。

リビングにはブルーの唸り声と、いつ終わるとも知れない男の話の不協和音。

男はどうやら既婚者らしい。
しかし毎晩ひとりでさみしく夕飯をとっているのだとか。

どうでもいい話はいつまで続くのだろう。顎にかけたマスクはいつになったら男の口を封じてくれるのだろう。いつその胡坐を閉じて立ち上がるのか。この男の目的は何なのだろう。

「時間まだかかりますか?」
「えっ……」
「ずっと関係ない話をされてますが、いつまでその話を聞かされなきゃいけないのでしょう?」

刺すような冷たい口調だったと思う。
日本で暮らしていると、台湾女性へのイメージは“やさしくて可愛い”なのだなと感じる。後者は否定しないが――笑うところです――前者は時と場合に寄る、というか台湾女性はハッキリとNOを言うわりとキツめの性格だ。わたしも御多分に漏れず。

男はようやく「自分は邪魔者だ」と気づいたのか、受け容れられていないと分かったのか「すみません、犬がかわいいのでつい長居してしまって」などと四の五の言っていた。

女のひとり暮らしは自由と、危険と恐怖が背中合わせ

犬は本当に人を見る目があるか? (2)


本当は、この男にファンヒーターを任せたくなかった。もう一度別の“まともな”点検員の方に来てもらいたかった。けれど自宅も名前も知られている。

今回はひとまずこの男にヒーターをあずけるしかない。年末年始にエアコンで暖をとるのは――髪や肌が乾燥するので――ちょっと嫌だ。ガスファンヒーターのクリーニングの仕上がりは混みあっていて、2週間前後かかるという。今日頼んでギリギリだ。

男は「ガスファンヒーターのクリーニングが終わり次第、ご連絡します」と自分の名刺を1枚置いて、ようやく消えてくれた。言葉は悪いが本当に、ようやく消えてくれた――と思った。

ガス会社にクレームを入れるべきか迷った。「顎マスクで話し込んだ」これだけでも十分すぎるほど正当な苦情になるだろう。けれど、家を知られている。名前も知られている。わたしには守るべき小さな存在が4匹いる。万が一“逆ギレ”なんてされたら……と思うと、ここはいったん飲みこむべきか。

クリーニングを終えたヒーターを持ってきてくれる担当を「別の人でお願いします」とだけ言おうか。理由を聞かれたらなんという? ……んん、しばらく考えよう。

親友がくれた御線香のけむり


気のせいだろうし考えすぎているだけってことはよく分かっている。しかし、そうせずにはいられないような、“よどみ”を感じる。

親友が「嫌な気配を感じた時に焚いてね」と送ってきてくれたお線香に1本火を点けた。エアコンをつけているせいか、白煙は玄関に向かってまっすぐに流れていった。

「空気の悪いところに向かって煙は流れていくから、そうして浄化してくれるからね。寿は生き霊がつきやすいから気をつけてね。御線香でも不安な時は同封した御塩で体を洗ってね!」

親友の丸くて懐っこい字で書かれた手紙を開くと、ふと白檀の香りが立った、ような気がした。化学物質過敏症なため嗅覚はいかんせん不確かで――。(つづく)




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